今日はコモンズの悲劇について。
これは、ハーディンという生物学者が提唱した説です。たとえ話なんだけど、みんなのものである牧草地だと牛飼いは草がなくなるまで草を食べさせようとします。自分だけの牧草地だと、そうはしないのに。結果、その牧草地の草は枯れ果て2度と牧草地になることはなくなるんだけど、これは結果から考えると不利益を被っていることになります。不利益なんだけども、みんなが自分だけ利益を得ようとする(この場合自分の牛を太らせようとする)と、結局はみんなにとって不利益な結果になるという例えです。もちろん批判も多くあり、地域で管理されている山地なんかは、皆がルールを守って使用しているためコモンズの悲劇が起こってない場合が多いのですが。
ハーディンはこれについて、オープンアクセスの場合だけだと 後に訂正をしています。オープンアクセスとは、誰でも簡単にその場に入って利益を得れる場 ということです。特に環境問題はこの例えがよくされます。例えば、大気。オゾン層があり、紫外線を防いでくれたり、雨を降らしてくれたり人類にとって恩恵が深いものですが、人類が豊かな生活を手に入れようとすると、オゾン層が壊れたり、酸性雨が降り注いだりします。これは、全体にとっては不利益なことですね。こういう場合はやはり規制を設けなければなりません。一部の人だけが利益を得て皆を不幸にするのではなく、皆が平等になるように。たとえば、環境税の導入なども考えられます。環境に負荷をかけようとするものはお金を多く払うということ。身近なところで言えば、自動車。排ガスがクリーンなほど税金を安く、すれば皆が排ガスがクリーンな車を購入し、全体として環境への負荷は軽減されます。
ハーディンがここまで言いたかったのかどうかは知りませんが、コモンズの悲劇はなかなか良いたとえ話でいろいろ応用が効く上、説明が分かりやすくなるので重宝しています。
0 件のコメント:
コメントを投稿